2022-05-08

山口千尋のかげがえのなさ

  サッカーはメンタルスポーツだと云われる。プレーヤの微妙な心理が試合の運びにそして結果に重大な影響を及ぼす。
 4/29と5/4に行われた対神戸の2連戦はそれを如実にものがった。
 4/29はキックオフから25分で広島は3点を失った。広島は相手が強いと意識して試合に入り、神戸は弱い相手を叩こうという意識があった。この心理の差が試合の流れを一方的にした。このままワンサイドゲームになり今シーズン最悪の試合になるのかと思われたが、33分小川の高い位置でのプレスに連動して谷口と柳瀬がボールを奪ったあたりから、雰囲気が変わり始める。広島側は、やれる、と思っただろうし、神戸は、意外としぶとい、と思ったろう。以降試合が終わるまで広島が攻めに攻めた。その後どうなったかはすでに書いたとおりである。5/4の同じ組み合わせの試合では神戸にはいいところが殆どなく、広島の勝利となった。もちろん神戸に戦力ダウンがあったわけでも広島が補強をしたわけでもない。両チームともほとんど同じメンバーの試合であったわけだが、心理や意識がいかに重大な影響をもたらすかをこの2試合は示してくれた。

 話は半年前に遡る。開幕第2節、広島はホームで初のリーグ戦となった仙台戦である。
この試合、前節の試合中に前十字靭帯を痛めてしまって増矢理花が欠場している。増矢がいない広島は堅い守備の仙台に対してなかなか有効な攻撃ができない。対する仙台の攻撃も単調な感じで必ずしも調子が良いようには見えなかったが、43分隅田凜が左から上げたクロスがするっとゴールの隅に吸い込まれてしまう。ここから仙台は少しずつエンジンがかかり53分に追加点が入る。ホーム初戦でなんとか勝ちたい広島は果敢に攻撃を仕掛けるがなかなか決定機が作れない。
 63分、柳瀬に代えて谷口を、川島に代えて島袋奈美恵を、中嶋に代えて山口千尋を広島は投入する。この3枚替えの用兵が見事に効を奏した。3人が連動して動き回ることでペースは一気に広島に傾き、怒涛の攻撃が始まるのだ。

 63分島袋からのボールを谷口がポストプレーで落としそれを小川が左の山口に展開、山口がツータッチでシュートしたボールはゴールの右隅を掠める。

 そのゴールキックを拾った山口のボールを上野が上げて谷口がヘディングでオンターゲット。

 65分山口がクロスを上げ谷口がヘディングでこれも枠内。

 67分ハーフライン付近で上野からもらったボールを山口がスルーパス。反応した谷口のシュートがまた枠内。さらにそのゴールキックを山口が奪って上野につけるとシュートはクロスバーを叩くすさまじい勢い。

 給水タイムで高平美憂を入れたこともあり仙台はプレスを強めることに成功する。が、それでも広島は強引に攻撃を続行。

 81分山口がドリブル突破に成功してクロス、82分今度は島袋が右翼でドリブル突破。

 87分山口と木崎で左をえぐってコーナー獲得。

 仙台にはA代表の巧者たちがたくさんいるが広島の気迫が彼女たちのミスを誘っているように見える。だがしかし広島はどうしても仙台のゴールを割れない。そして無常のロングホイッスル。

 試合が終わってロッカールームへ引き揚げる選手たちの最後尾で、 山口千尋が泣きじゃくっていた。悔し涙であることは判る。最初のホームで勝てなかったことで泣いているのか、これだけの攻撃をしても得点できなかったことが悔しいのか、はたまた同じような位置から打った相手のクロスはゴールになって自分のシュートはゴールにならないという皮肉な対比が悔しいのか、それは本人に訊かないとわからない。いや、きっと本人に訊いても整理のついた答えなどは得られないだろう。ただ、この試合で最も力を発揮して最も強い輝きを放ったのは他のだれでもない山口千尋だ。その山口千尋がひとり泣いている。

 レジーナのドリブラーはと問えば、いまや多くの人が中嶋淑乃の名を挙げるだろう。確かに中嶋のドリブルは成功率も高く観るものを魅了する。だが中嶋とは異なるタイプのドリブラーの名前も忘れないで欲しい。それは感情というガソリンを燃焼させて突破をしてゆく炎のドリブラーだ。

 普段の取材に応える彼女の印象はおしとやかな感じのかわいい女性である。それを思うと、2021年の春、プレシーズンマッチでゴールを決めたときウサギのように飛び跳ねて喜んだ姿を思い出す。あのかわいい姿とこの仙台戦で見せた気迫のドリブルとその後の泣き顔と、それぞれはどんな心で繋がっているのだろうか。

 たぶんその心は、真っ直ぐで素直な心、なのではないだろうか。ゴールが決まって喜ぶ天真爛漫な心。それがかわいらしい仕草を生み、自分たちを観に来てくれた大勢のお客さんたちの前で勝ちたい素直な気持ちが30分間の猛攻を生み出し、そしてそれが成就しなかった悔しさが真っ直ぐに溢れ出して涙になった。きっとそういうことなのだ。この動画を見ていただければ筆者のこの推測が当たらずとも遠からぬものであることがおわかり頂けると思う。


 人間にはいろいろな感情や心があるけれど、素直であること真っ直ぐであること純粋であることが最も大きなパワーを持つのは疑いないところだろう。

 類まれな心、強くて真っ直ぐな心を持った炎のドリブラー、その存在は目には見えない力でチームを強く牽引する。レジーナにとってかけがえのない存在だ。

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